戦争協力者の評価について

これは、大袈裟ではなく日本の言論のタブーに触れる話題です。

また、初めにお断りしておかなければならないでしょうが、私は、右翼的な考えを持っているわけではありません。
そうではなく、これから述べることは、物事をきちんと、正面から、見れば、おのずから導きだされることであるはずです。
それにも係わらず、おそらく以下の言説には、ほとんどの人が嫌悪感を持つでしょう。途中で読むのやめられるかもしれません。
やめられてもかまいません。ただし、その時に感じた嫌悪感から目を背けないで、ご自分なりに、もう一度考えて頂きたいと思います。
偏見を持たずに、改めて考えれば、答えは出てくるはずなのです。

前置きが長くなってしまいました。
結論から申し上げます。戦時中に戦意高揚などで軍部に協力した作家や作曲家たちが戦後、現在に至るまで責められていますが、責められるいわれは、無いのです。

戦争指導者の話をしているわけではありません。
ここでは触れませんが、彼らをどう評価するべきかというのも、また考え直されなくてはならないことではあります。
少なくともその無能さは責められ続けなくてはならないでしょう。

日本では、終戦記念日というのは、仕様もない戦争を起こしてしまったのは間違いであった、という反省をする日になっています。
対して、戦勝国では勝ったことを喜ぶ、自分たちの優秀さを噛みしめる日であるのでしょう。

日本以外の国々、アメリカでもイギリスでも旧ソ連でも、民間人が戦意高揚に協力したことはあったでしょう。
戦後、その人たちは戦争に協力したことで人々から責められたでしょうか。具体的なことを知っているわけではありませんが、常識的に考えて、日本に比べて、それは少なかっただろうと思います。

その違いはどこからくるのかというと、勝ったか負けたかだけです。
勝ち負けの責任は、戦意高揚に協力した人たちにはありません。
普通、自分の国が戦っているのならば、それに協力しようと思うものではないでしょうか。(勿論、戦争そのものに反対していた人たちもいたでしょうし、それは立派なことだと思います)

また、日本は悪い戦争をしたからという方もおられるでしょう。
しかし、戦争なんて、幼児がオモチャを取り合ったり、ちょっとした感情の行き違いで喧嘩をするのと全く同じです。
立派なものでも無ければ、それほど罪深いものでもありません。
良い悪いというよりも、ただ私たちが阿呆なだけです。

そこに善悪を持ち込んで、悪い戦争に協力した人は責められるべきで、良い戦争に協力した人は誉められるべき、というのはやはり、間違っているといわざるを得ません。

二度と戦争は起こさない、という決意は勿論、立派であり、賛成です。
しかし、それとは切り離して、戦前戦中の出来事を、冷静に、客観的に分析し、評価するべきであろうと思います。

また、それが出来ない人たちが、また危機の時代が来たときに戦争を回避できるとは、わたしには思えません。