科学は人類の敗北宣言

新型コロナウィルスにどう対応していくかの話のなかで、「科学的合理性にのっとって対処していく」ということをいわれる方がおられます。しかしその言われることを聞いていると、「科学」という言葉を出せば、自分たちは正しいということが証明される、とでもいっているかのようです。

それはそれでいいのようなものですが、その人が、ひいては私たちが、科学的合理性、科学の方法論の本質というものをどの程度理解しているのか、となると、結構、わかっていないのではないのか、と思うのです。

科学の方法論というのは、
①仮説をたてる
②実験で仮説を検証する
③その結果が仮説と合えば、その仮説は正しかったと証明されたこととする
といったことでしょう。

それ以前との違いは、実験して検証する、という部分でしょう。

その前はどうしていたのかというと、頭のなかだけで考えていたことを真実であるとしていたようです。

ところが、それでは正解を出すことは難しい。また、出した答えが正解であるのかどうかを確かめることもできない。

それで実験、ということを発明したのでしょう。「正しいかどうかは実際にやってみなければわからない」というわけです。

つまりこれは、自分たちの頭脳の限界を認めた、ということです。私たちの貧弱な洞察力による想像だけでは真実にたどり着くことはできない、ということを認めた、大きくいえば、人類の敗北宣言ともいえます。

しかし、実験というものも、現実を完全に現したものではありません。勿論、その実験の目的に関わることは網羅するようにしているのでしょうが、それが完全に保証されるわけではないのです。

さらに重要なことですが、実験で確認しようとしていることは、その実験の目的に即していることだけです。いわいる副作用のようなものがあっても、それは検証されないのです。

大きなところでいうと、化石燃料を大量に燃やすことが地球の温暖化につながる、などということは、蒸気機関を改良した人には思いもよらないことであったでしょう。

その辺りのことは科学に携わっている人たちにはわかりきったことであり、ですから、たまに表にでて話しをする科学者たちは一様に謙虚です。自分たちの限界を知っているからでしょう。

科学を盲信してしまう危険があるのは、科学の成果を後に知ることしか出来ない人たちです。
つまりは、私たちの大多数です。