格差が問題だというけれど

自由民主党の総裁選、これは、今回はそのまま日本国の総理大臣を選ぶことになるわけですが、その候補者たちが皆、格差問題について触れています。

それならば、改めて格差のことを考えるのも意味のあることだろうと思ったわけです。

まず、押さえておかなければならないことは、これは良い悪いの問題ではないということです。

そもそも、本来、善悪などというものはありません。

私たちが善悪だとしていることは、私たちが社会生活をおくるときに、大多数の人に都合のいいことをすなわち善、都合の悪いことを悪と、便宜上、暫定的に決めただけのことです。(ですから、社会環境が変わると善悪の基準も変わります)

ですから、格差の問題というのも、それを人道上、倫理上の問題だと思ってしまうと、どこまでいっても答えが見つからなくなってしまいます。

現在、日本だけではなく、経済の構造上、世界中で格差の拡大が問題となっていますが、まずは、何故格差があっては都合が悪いのか、から考えなくてはいけません。

先にわたしなりの答えを言ってしまうと、治安と活力に悪影響がでるからです。

治安のことは説明もいらないかと思いますが、一般に所得の低い地域は犯罪が起きやすいといわれます。
私たち人間の性質として、たとえ貧乏であっても、周りもそうであれば不満も起きにくいです。しかし、周りはお金を持っていて楽しげな顔をしているのに、自分だけ貧乏をしている、すなわち格差があると鬱憤も溜まってしまいます。
また、テレビなどでお金持ちの話など聞かされると余裕のない時には腹も立つでしょう。
そうなれば当然、犯罪は増えてしまいます。

活力にどう関わるのかといいますと、現代社会で労働力として計算できるのは、ある程度の教育を受けた人、ということになるからです。
教育が不充分で、労働力になりにくい人が多くなると国力も上がりません。
格差が広がって、ましてはそれが世代が続いても固定されるようになってしまって、不充分な教育を受けている人が増えてしまうと、必要な労働力が足りなくなってしまいます。

これは現代社会が身分制を採用していない理由でもあります。

現在の日本で生活している人にとっては、身分制などというのは、古い因習で完全に間違った制度に思えるのでしょうが、身分制というのはそんなに悪いものではありません。

私たちは有史以来、ほとんどの期間、身分制社会が続いていました。そんなに悪いことが、そんなに続いたわけはないのです。

少し大きくでますが、およそ生きとしいけるもので格差のないものはありません。勝者がいれば敗者がいます。繁栄するものがいれば、衰退するものがいます。
身分制とは、それが固定された社会のことです。
先程、格差の問題として、治安が悪くなることをあげましたが、そもそも格差が前提である身分制の社会であれば、その問題はかなり少なくなります。王侯貴族が贅沢をしても、なんたって、身分が違うのですから、そんなこと気にしたって仕方がありません。
理論的な裏付けだってそれなりにあったはずです。
例えば、身分というのは役割分担である、とか、身分の高いものはそれに伴った義務があるとか。

きちんと学術的な裏付けをとっているわけではありませんが、身分制社会が崩れたのは、資本主義が生まれたからだと思います。

現代にまで続いている競争社会になったときに、使える労働力を作ることは大変に重要だったはずです。
ですから、身分制をやめて、労働力をつくるために義務教育をはじめたのです。
優秀な人材が、身分が低いというだけでその力に見あった仕事が出来ないなどというのは、効率が悪いことです。
潜在能力のある人が、お金がないために教育を受けられず、その結果、もっている能力が無駄になったとしたら、それは社会全体の損です。

ですから、義務教育は無料なのです。

そうして、社会秩序が乱れかねない危険はあったのに、私たちは身分制をやめたのです。

それがすなわち、民主主義といわれるものです。



今、高等教育まで無料にしようとしていますが、その理由も同じです。
可能性のある人材を無駄にしたくないのです。

また、女性の社会進出が求められているのも同じです。これを阻んでいるのは、偏見よりも、なんといっても、妊娠、出産、育児というのは、年間単位で時間がかかることだからです。
しかし、私たちは一人残らず、女性が妊娠、出産してくれたおかげで存在しているということと、結構な割合で、育児でもお世話になっていることがちゃんとわかっていれば、それをハンディキャップにしてはならない、などということは常識になるべきなのですが。

だからこそ女性はその何よりも大切な、妊娠、出産、育児という仕事に専念するべきだ、という人が多分おられると思います。実はわたしも、(本人の希望が大前提ですが)それ自体が間違っているとは思いません。
しかし、何故、今、女性の社会進出が取り沙汰されているのかというと、別段、倫理上の理由ではなく、女性の潜在的労働力を生かしたい、そしなければ、外国との競争に負けてしまうという理由からです。

以上、格差問題にしろ、何にしろ、善悪という、つくりものの基準を取り払えば、本質が見えてくる、という話でした。