新しい大臣たちが選ばれましたが―そのニ―

《以下のことは、菅内閣の閣僚が正式に決まる前に書きました。
正式発表を見てみたら、以前、当たり前のように行われていた、当選回数で大臣が決まるなどということは、さすがに現在の緊迫した国内外の情勢ではやられないようでした。
これは、当たり前のことではありますが、しかし、簡単なことではなかったでしょう。
少なくとも、これに関しては、小泉、安倍さらに菅という歴代総理は誉められるべきでしょう。
現状と違うことなので削除しようかと思ったのですが、以前はこういうことが罷り通っており、皆、当たり前ので顔でそれを受け止めていたことを思い、そのまま発表することにしました》

国家の重要な役職というものは、その仕事をするのに相応しいひとが選ばれるべきです。

ですから、選ばれたひとと、そのひとが就くことになる役職は同時に決まるはずです。その仕事なら誰々が適任だ、という理由で決まるのですから。

しかるに、誰それが大臣になることが決まった。但し、何の大臣かはまだ決まっていない、などということが、国家の最も重要であるべき仕事において、白昼堂々、発表されているのです。

これを恥ずかしいと思わないなんて、どうかしていると思います。


また、それがまかり通っているということは、大臣などというものは、誰かやったっていいということを証明していることになってしまいます。

と、これは正論です。

しかし、実際は、そういう手順で決まるのは、政治的決断力を使わなくていい省庁の大臣たちです。

重要な閣僚にはそれなりの人が配置されている筈です。(言い切るだけの議員さんたちの個々人に対する知識はありませんが)

正論を追求すると、民主主義は否定されがちです。

ファシズム共産主義はそうやって産まれてきました。

国会議員というのは、国会議員というくらいですから、国会で仕事をするべき存在です。

では、国会の仕事は何かというと、法律を決めることです。

ところが、現実には、国会で決まる法律のほとんどは役人が出したものとよく言われます。

では、議員さんは何をしているのかというと、わたしもよくは知りませんが、政策を勉強したり、各種委員会で法案について与野党で議論されたりしているのでしょう。

その議論の結果、法案に重要で私たちのためになるような変更がされているのかもしれません。

しかし、たとえそうだとしても、それはなかなか私たちの知る範囲には届いてきません。(ネット時代なのですから、これはわたしの怠慢に他ならないのかも知れませんが、しかし、大半の人たちはわたしと同じでしょう)

私たちは、政治家などというものは、選挙の時だけ張り切っているけれども、それ以外の時には何もしていないか、陳情に答えるだけのものと見てしまいがちです。

そうしてそれは、自分のためのことと、政治力をかさにきた余計な横槍にしか見えません。

その考えに幾分かの真理があったとしても、議会制民主主義を否定することは、悲惨な結果を生むだけだということは、ファシズム共産主義が教えてくれました。これは、大変な犠牲を払って私たちが学んだ、とても貴重な教訓です。(軍人は勿論のこと、官僚に権力を持たせてはいけない)

また、それは、正論というものが、結構な割合でろくな結果を生まないということも教えてくれました。

ところで、定期的に議員の定数を減らせとか、報酬を減らせ、という意見が出されます。

私たちは議員さんたちにいい仕事をしてもらいたいのですよね。そう思う相手の給料を減らしてどうするのでしょうか。どちらかというと、増やさなければいけないものです。そうして、それに見あった仕事をしてください、と要求するべきです。

議員定数の削減も理屈は同じです。

議員の数というのは、ただでさえ少ないものです。それを、さらに減らしてしまっては、議員になろうとする人がどんどん少なくなってしまいます。

ということは、有能な人が議員を目指す可能性もどんどん減ってしまうということです。

それは私たちの望むことではないはずです。

議員さんたちに発破をかけることが目的ならともかく、責任をとるつもりもなく、人の生活を左右しかねないことを言うのはどうかと思います。