巨大IT企業は搾取をしていない

《これから書くことは、もしかしたら、多くの人たちにとっては当たり前のことかもしれません。実際に、確実にそれを知っている人が何人かはいます。しかし、寡聞にしてなのでしょうが、誰かがそれをいったり書いたりしているのを知りません。ですから、以下、それを記させて頂きますが、そんなことは知ってらぁ、という方々は読まれる必要はないでしょう》

わたしは、実は、いまだにインターネットから利益をとる経路というものが実感できません。勿論、話としては知っています。収入の柱としては広告と利用者の利用状況を分析したもの、いわいる、ビックデータを売ったものだと聞いています。
広告はわかるのですが、ビックデータですね、理屈はわかっても上手く実感できないのは。

しかし、考えてみれば、広告というものが登場したときも人々はそれでお金を儲けるというのが上手く実感できなかったのではないでしょうか。いや、今だってその価値を本当に知っている人はそれほど多くは無いはずです。
単純に一つの広告を打っただけならば、その広告をやった、やらなかったの比較はわかりやすいかも知れませんが、ほとんどの場合、広告は複数打つでしょうから、どれが本当はどのくらいの効果があったのか、というのは分かりにくいです。勿論、分析はするのでしょうが、その分析がどのくらい正確なものかどうかというのは結局のところ、わからないのではないのでしょうか。
まあ、それでも、おおよそのことはわかるのかもしれませんが。しかし、その分析結果は企業のけっこうな秘密でしょうから、部外者にはわからないことです。

だからこそ、いち早く広告の価値を見抜いた人たちの洞察は特別なものであったのでしょう。そうしてそれは、ビックデータの重要性にいち早く気付いた人たちにも言えることです。

ところで、話が大きくなるようですが、かのカール・マルクスが革命を唱えた根本理由は、資本家が労働者から搾取している、という認識に基づいていていました。革命は遠い昔話になってしまいましたし、「搾取」というのが適切な言葉がどうかはわかりませんが、一応、その分析は今でも部分的に正しいのでしょう。
すなわち、労働者が産みだした価値がすべて労働者のものになるわけではなく、そのうちの大きな部分が資本家のものになるわけです。(部分的には、というのは、時代が下るにつれて、アイディア―例えばデザインもそれに含まれますが―がその価値を増していっていき、単純な工業製品はその重要度が少なくなっていたので、マルクスの理論は少しずつ、当てはまらない部分が増えてきていたのでしょう。また、経営者のなかには主観的にも、客観的にも、労働者の生活を守っている、守ろうとしている人たちも少なからず居られたので、マルクスの理論はあくまでもおおまかな枠組みということになります)

ところで、マルクスのいた時代からそれが当てはまらない業種が、少なくても一つ、ありました。石油などの天然資源を売る仕事です。そういう業種でも、資源を掘出したり、運んだりする人たちがいるでしょうが、資源を持っている人がそういう人たちを搾取しているとは流石にいえないでしょう。

ビックデータ を持っているというのは、天然資源を持っているのと基本的には同じことです。
二つ共、そこにあるものです。原価がほとんど、無いのです。

グーグルやアマゾンをつくった人がはじめからビックデータを目当てにしてそれをつくったのかは知りません。

どちらにしろ、結果として、搾取などというものからは遠い巨大産業ができてしまいました。
これは、ひょっとすると、共産主義革命が完全に意味をうしなった、ということになりませんか。

なぜなら、マルクスは労働者と資本家を善と悪の関係に仕立てあげたのでしょう。“搾取”の言葉を使って。

そこに搾取がないからには、善悪もありません。残るのは、格差の問題だけであって、これは、税制などと制度で解決するべき問題です。革命の出番はありません。もしも、今、暴力で世の中を変えるならば、それは革命などではなく、ただの闘争です。

ああ、考えてみれば、今までにあった、共産主義革命というものも、革命などという立派なものではなかったのでしょう。当事者はそのつもりで、理想を求めていたのかもしれませんが、その理論は根拠の薄い、実はただの権力闘争だったのでしょう。

この話はまだ先がありそうですし、今でのところも修正や補足が要りそうですが、とりあえずはここで一回締めさせていただきます。エネルギーが切れました。